「理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師、ニュートン」(byケインズ)

四ツ谷にあるバレリーナ専門気功整体「まといのば」という看板で仕事をしていますが、バレリーナ専門でも気功整体でもなくなってしまい、かなり業態が変わりつつ、現在に至っています。現在はセミナーとヒーラー養成スクールが主たる業務です。

こちらでは、ブログで書ききれなかった古典からの引用などを紹介したいと思っています!!

メインブログはアメブロでそちらで記事を多く書いていますが、あまり引用が長いのは避けています。セミナーで用いるレジュメも同様です。

しかし、サラッと紹介された引用の前後も長めに知りたいというニーズもあるでしょうし、僕自身も参照することができる一覧が欲しいと思っていますので、AmebaOwndさんのサービスで書いていこうと思っています!

かなり面白いと思いますので、お楽しみに!


まずはケインズのニュートン評です!

ケインズは言うまでもなく偉大なイギリスの経済学者です!


(引用開始)

十八世紀およびそれ以後において、ニュートンは近代に属する科学者の最初にして最大の者であり、合理主義者で、また冷ややかで混じり気のない理性に従って思考することを教えた者と見られるにいたった。

 わたくしは彼をこのようには見ていない。一六九六年に彼が最後にケムブリッジを去ったときに荷造りをした、そうして一部散佚したけれどもわれわれに伝わっているあの箱の内容をよく検討したことのあるものならだれも、そういう見方ができるとはおもわない。ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師であり、最後のバビロニア人でまたスーメル人であり、一万年には少し足りない昔にわれわれの知的遺産を築き始めた人たちと同じような目で、可視的および知的世界を眺めた最後の偉大な人物であった。アイザック・ニュートンは、一六四二年のクリスマスに生れた父親のない遺児であって、博士(マギ)が心からのしかもふさわしい尊敬を捧げることのできる最後の神童であった。(ケインズ「人物評伝」p.316)


彼は友人たちが無理やりにすすめるのでなければ、なにも手離したり公刊したりしなかった。彼の生涯の第二の段階にいたるまでは、彼は夢中になって一身を捧げた隠者であって、おそらくかつてこれに匹敵するものをみないほどの忍耐強い精神をもって、強い内省によって彼の研究を遂行していた。

 彼の精神の謎を解く糸口はその人並みはずれた、絶え間のない集中的な内省力のうちに見ることができるとわたくしは思う。デカルトの場合と同様に、彼を完成された実験主義者とみなす主張もなされうる。われわれの心をいちばんとらえるのは、少年の日の彼の機械の考案についての物語である。彼の作った望遠鏡があり、また光学上の実験がある。これらのものは本質的な才芸であり、彼の比類ない多面的な技能の一部であったにしても、とくにこれを彼と同時代の人々のあいだにおいて見るとき、彼に特有な天稟でないことはたしかである。彼の特有な天稟は、まっすぐに見きわめてしまうまで、純粋に知的な問題を絶え間なく心の中に持ちつづける能力であった。彼が卓越していたのは、彼の肉体的な直感力が、かつてひとに賦与されたもっとも強力で、もっとも持続的なものであったことによるような気がする。純粋科学的ないしは哲学的な思考を試みたことのあるひとならだれでも知っているが、ひとはある問題をしばらくは心の中に保持して、それを洞察するのにいっさいの集中力を傾注することができるのであるが、それは次第に薄れてわからなくなり、その眺めているものがただの空白にすぎないことに気がつくのである。ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打明けるまで、心の中に持ちつづけることのできる人であったとおもう。それから、彼はすぐれた数学の専門家であったから、説明のためには望むとおりの表現をそれに与えることができたのであるが、しかしすぐれて非凡であったのは、彼の直観であった。ーー「彼は推測がきわめて巧みであったから、」とド・モルガン〔一八〇六ー七一、ロンドン大学教授〕はいった、「おそらく彼がどうにかして証明することができた以上のことを知っていたように思われる。」証明は、それにはそれとして価値があるとしても、すでに述べたとおり、あとから仕上げられたものであった。ーーつまり、それは発見の手段ではなかったのである。

 彼が天体運動のもっとも基本的な発見の一つをハレー〔一六五六−一七四二、天文学者、水星を観察して再来を予測す〕に知らせたときの話がある。「なるほど、」とハレーは答えた、「しかしどうしてそれがわかりますか。あなたはそれを証明したのですか。」ニュートンはびっくりしたーー「なに、そんなことはもう何年も前からわかっているのです。」と彼は答えた、「二三日待って下されば、きっとその証明を見つけますよ。」ーーやがて彼はいったとおりにしたのであった。

(略)

 彼の実験はいつでも、発見の手段ではなくて、つねに彼がすでに知っていたことを検証するための手段であったのではないかと思う。 

 なぜわたしくは彼を魔術師と呼ぶか。それは彼が全宇宙とその中にあるものとを謎として、秘密として考えていたからであって、その秘密は、ある一定の証拠、すなわち秘教的兄弟団に一種の哲学者の宝探しを許すために神が世界のあちこちに置いた、ある一定の神秘的な手がかりに純粋思惟を適用することによって読み取ることができるものである。彼の考えるところでは、これらの手がかりは、一部は天空の証拠や元素の構造のうちに見いだされ(そのことが彼は実験物理学者であるという誤った示唆を与えるもとになっている)、なおまた一部は、教団員によって伝えられた、バビロニアにおけるもとの秘密な啓示にまで切れ目なく続いている、ある種の文書や伝統のうちに見いだされるべきものであった。彼は宇宙を全能の神によって課された暗号と見なしていた。ーーあたかも、彼自身ライプニッツと通信したさいに微分法の発見を暗号文に包んだのと同じように。純粋思惟によって、精神の集中によって、秘伝を受けた者にはその謎が明かにされるであろうと彼は信じていたのである。

 彼はほんとうに天空の謎を解いた。そうして彼は、同じく彼の内省的想像力によって、神の謎、神によって予定されている過去と未来の出来事の謎、元素ともとの未分化の第一物質からの元素の構成との謎や、健康や不死の謎が解かれるであろうと信じていた。もし彼がなにものにも妨げられず、ただ一人で、部屋にはいってくる者もなく、読んだり、写したり、検証したりしながらーーひとりぼっちで、後生だからなんの邪魔もはいらないで、暴露されることなく、耳障りな差出口や批評を受けたりすることもあんく、恐れとしり込みとをもってこれらの半ば予定され、半ば禁ぜられた事物に立向かいつつ、自分の母の胎内にかえっていくかのように神のふところに深く忍び込んで、ーー最後までやりとおすことができさえすれば、すべてのものが彼に明らかにされるであろう。「三角形の三辺のように明白なものでなければなにも信じない男」であったチャールズ・ラムとは違って、「まだ知らない思惟の海をただひとりで航海しながら」。

 こうして彼はおよそ二十五年間つづけた。一六八七年、彼が四十五歳になった時、『プリンキピア』が公刊された。

(略)

 この二十五年にわたる熱心な研究のあいだ、数学と天文学とは彼の仕事のほんの一部にすぎず、おそらくもっとも興味をひいたものでもなかった。これらについてのわれわれの記憶は、そのほとんどすべてが、彼がトリニティーを去ってロンドンに向かったときに捨てないで箱に詰めた文書に限られている。

(略)

 その生涯のずっと早い時分から、ニュートンは三位一体説にたいする正統派の信仰を捨てた。

(略)

 しかしこれは、ニュートンが一生涯必死になって隠そうとした恐ろしい秘密であった。(略)一六八九年の信教自由令でさえも反三位一体論者は除外していた。(略)

 彼がこの異端を持していたことは、彼の沈黙や秘密主義や内向的な気質をさらにひどくさせるものであった。(略)

 筆蹟から判断してもっとも初期のものに属する大きな部分は、錬金術ーー変成、化金石、不老不死の霊薬ーーにかんするものである。(略)

 ケンブリッジの図書館には初期のイギリス錬金術師の手稿がひじょうにたくさんある。おそらくは大学内部に打続いたある秘教的伝統があって、これが一六五〇年から一六七〇年にいたる二十年間に再び活動を開始したものであろう。ともかく、ニュートンが激しい耽溺者であったことは明瞭である。(略)

 片足は中世におき、片足は近代科学への途を踏んでいる、このようないり混った異常な研究のうちに、ニュートンは彼の生涯の第一段階を、すなわち、彼がほんとうの仕事のすべてをしたトリニティーにおける生活の時期を、過ごしたのであった。〔略)

 そうして生涯の転機がきて、彼が魔術の書物を箱の中に収めたときに、十七世紀を背後に払い落として、伝説上のニュートンである十八世紀的人物へと進化していくことは、彼にとって容易であった。

(引用終了!)


このニュートンのケインズ評は幾度と無くブログでもレジュメでも引用しています。

天才についてのセミナーなどでも、「ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打明けるまで、心の中に持ちつづけることのできる」などは頻繁に使いました。

また、科学の数学化ということとからめて、数学の証明が先なのではなく、数学的直観が先で、証明はあとからついてくるというのもハレーとのやり取りを傍証として引きました。

同じことはアルキメデスもやっていたと本人が手紙で書いています。


最後の魔術師ニュートンというイメージを現代のわれわれに植えつけたのはまさにこのケインズのニュートン評ゆえだと思います。


(引用開始)

彼は最後の魔術師であり、最後のバビロニア人でまたスーメル人であり、一万年には少し足りない昔にわれわれの知的遺産を築き始めた人たちと同じような目で、可視的および知的世界を眺めた最後の偉大な人物であった。(引用終了)


いずれにせよ、こんな感じで引用を長々としっかりと載せて行きたいと思います!!

古典の引用自体を参照するには便利かと思います!!

四ツ谷のバレリーナ専門気功整体「まといのば」

気功師から見たバレエとヒーリングのコツをセミナーやヒーラー養成スクールなどで紹介しています!

0コメント

  • 1000 / 1000