サマリア人のたとえ(ルカ10:25)

新約聖書ルカ書の「サマリア人のたとえ」もまたセミナーやスクールで非常に取り上げることの多い箇所です。

ざっくりといえばイエスの思想とは「愛」であり、「隣人愛」と言えます。その隣人愛を明確に示したのが「サマリア人の譬え」と言えます。

また最近では特にルカ10章26節の「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」を重視しています。イエスはほとんどの言葉を律法すなわちキリスト教の言うところの旧約聖書から引用します。「人はパンのみにて生きるにあらず」にせよ、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」にせよ、すべて引用です。マタイ5章17節にこうあります。

5:17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

イエスはユダヤ教の伝統に従い、「律法にはなんと書いてあるか、どう読むか」を生きた人でした。

また10章27節の「心を尽くし」は申命記の6章5節です。そして申命記のこのくだりがミシュナーの冒頭のゼライームのベラホート(祈り)の課題です。


(引用開始)

10:25 するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

10:26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

10:27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

10:28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。

10:29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

10:30 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。

10:31 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。

10:32 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。

10:33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、

10:34 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

10:35 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

10:36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。

10:37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

(引用終了)

レンブラントの「サマリア人のたとえ」です!

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